Ibasho(居場所):人々を集める「プログラム」でなく、結果として人々が集まる「場所」

少し前、ワシントンDCのIbashoのいくつかのワークショップ、ミーティングに参加に参加する機会がありました。

Ibashoの代表から、Ibashoの8理念、そして、Ibashoがこれまでに立ち上げなどに関わった大船渡市の「居場所ハウス」、フィリピンのバランガイ・バゴング・ブハイ(Barangay Bagong Buhay)でのプロジェクト、ネパールのマタティルタ村(Matatirtha)でのプロジェクトの紹介が行われた後、参加者が、自分たちの地域でもできることを考え、意見を出し合うという集まりです。

Ibashoは、高齢者がお世話されるだけの存在とみなされるのでなく、何歳になっても知恵や経験をいかして自分にできる役割を担いながら地域で暮らし続けることの実現と、そのために「歳をとること」の概念を変えていくことを目的として活動する団体で、8理念の一番最初にあげられているのは「高齢者が知恵と経験を活かすこと」(Elder Wisdom)です。ワークショップ、ミーティングに参加された方も高齢者が中心でした。ただし、Ibashoは地域が高齢者だけが集まることを目指すわけでなく、ワークショップ、ミーティングでは多世代という表現もキーワードとされました。

参加された何人かの方からは、「居場所ハウス」の写真の中で、特に高齢者だけでなく、子どもを含めた多世代の人が写っている写真を見て、自分たちの地域にもこのような多世代の人を巻き込む「プログラム」をしたいという意見が出されました。
この背景には、英語の話者にとってIbashoの「basho」が場所であることがわからないという事情があるように思いました。

「居場所ハウス」では、子どもを対象とする教室やイベントなどのプログラムを開催することがあります(ワークショップやミーティングで紹介した写真の中にはプログラムの写真もありました)。しかし、子どもたちが「居場所ハウス」にやって来るのはプログラムに参加する時だけではありません。運営の基本はカフェ、レストランという日常の場所であり、ゲームをしに来たり、かき氷を食べに来たりする子どもたちもいます。プログラムに参加するのではないかたちで、日常的に子どもたちが出入りしています。

多世代の人々を集める「プログラム」ではなく、結果として多世代の人々が集まる「場所」という視点が重要であること。これは、多世代というだけでなく、地域に関心のない人に関しても当てはまることです。

地域の活動においては、地域にあまり関心がない人をどうやって巻き込むかがしばしば議論されます。もちろん、「居場所ハウス」にも地域の全ての人が来ているわけでなく、同じことが課題になっていますが、「居場所ハウス」から気づかされるのは、先に書いたようにカフェ、レストランが運営の基本になっていることです。

地域に参加しましょうと呼びかけるだけでは、地域にあまり関心がない人に参加してもらうことは難しい。ところが、コーヒーを飲みに立ち寄る、食事をしにに立ち寄る、買い物に立ち寄るということはあります。重要なのは、コーヒーを飲みに立ち寄ったり、食事をしに立ち寄ったり、買い物に立ち寄ったりすることとは、地域に参加することを意識せずに立ち寄るきっかけになること。しかし、地域を意識せずに立ち寄ったとしても、「居場所ハウス」は地域の人が運営しており、地域の人が出入りしているため、地域に参加するという意識を持っていなくても、立ち寄ることが結果として地域での顔の見える関係を築くきっかにになります。実際、「居場所ハウス」でも、食事をするためだけに立ち寄る人、コーヒーを飲んだり食事を飲んだりすることがきっかけで立ち寄ったことがきっかけで、徐々にプログラムに参加するようになった人がいます。


先に、英語の話者のことに触れましたが、参加者された方の中には、日系アメリカ人で片言の日本語がわかる方がおり、「Ibasho」の「basho」が場所であることに気づかれたと思いました。また、英語の話者も場所の意味を話された方もいます。地域で中心的な役割を担うある女性は、次のように話していました。

「場所があることがもっとも重要(Critical)。場所があると、他の人と出会うこと、飲食物を提供すること、楽しいことなど色々なことが起こる」。

居場所(Ibasho)においては、人々を集める「プログラム」でなく、結果として人々が集まる「場所」であることが重要であること。このことは、日本国内はもちろんですが、海外においても重要な視点だと感じます。
そして、Ibasho(居場所)としてプログラムではなく場所の視点を提供できることは、日本が海外に貢献できる重要なことだということに気付かされたワークショップ、ミーティングでした。