Ibashoの活動と学術研究からみた意義

2016年1月8日(金)、財務省で開催された「第七回開発問題研究会」において、Ibasho Japan代表の清田と、東京大学大学院経済学研究科の澤田教授による、Ibashoの活動と、学術研究からみたその意義についての講演が行われました。


講演者

  • 清田英巳:Ibasho代表/Ibasho Japan理事長
  • 澤田康幸:東京大学大学院経済学研究科教授

清田英巳「Ibashoの活動」

「Ibasho」という団体を立ち上げて活動しています。元々はボランティアから始まった団体です。実際に始まったのは2008年、アイボリーコーストとスリランカの高齢者の住宅のデザインにボランティアとして関わりました。2011年にワシントンDCで「Ibasho」という団体を立上げました。なぜ「Ibasho」という名前を使ったかですが、高齢者の権利や地位を向上しようという活動をする時、高齢者という名前がついてしまうとネガティブなイメージになる恐れがあるので、高齢者や老人ホームを連想させない言葉、アメリカ人が誰も思いつかない言葉ということで「Ibasho」という名前にしました。

最初は開発途上国で活動することを考えていましたが、東日本大震災があり、震災が起きた1週間後、ワシントンDCのレクチャーの中で被災地の高齢者の支援をしたいという話をしました。それがきっかけで、ハネウェルという企業から高齢者の支援をしたいという話がありました。これが大船渡のプロジェクトの始まりです。大船渡のプロジェクトは2012年2月に始まり、2013年6月にオープンにたどり着きました。写真は2015年6月のオープン2周年の時のものです。

ブータンではリタイアした僧侶の住む場所をデザインする活動に参加させてもらいました。ブータンでは僧侶が国家公務員で、55歳でリタイアなのですが、リタイアしたら住む場所がないということで。ブータンはHappinessの国で知られていますが、小学校の壁に書かれていた言葉が「Ibasho」の活動をよく表現していると思いました。「The time to be happy is now. The place to be happy is here. The way to be happy is to make other people happy」(今が幸せになるための時、ここが幸せになるための場所、他の人を幸せにすることが幸せになるための方法)という言葉です。私が今まで訪れた高齢者施設に住むおじいさん、おばあさんの顔を思い返した時に、これが足りないんじゃないかと。何歳になっても他の人に役立つ社会という点で、高齢者にアプローチできないかと思いました。

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「居場所ハウス」のオープン二周年記念感謝祭

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ブータンの小学校の壁に書かれた言葉

Ibashoが目指すこと

高齢化する社会に関する問題は複雑なので、私たちのような小さいNGOにできることは少ないですが、「Ibasho」では2つのチャレンジをしています。少子高齢化が進み介護者(Care Giver)が減っていく状況をどうするか? 自然災害の規模が大きくなっており、高齢者の被害が大きいという状況をどうするか? の2つです。東日本大震災でも死者の56%が65歳以上でした。
高齢化の問題は先進国が語れることが多いですが、人数をみると途上国で非常に多くなっていき、2050年までには世界の5人に1人が60歳以上になります。また、2050年には60歳以上の人口が、15歳以下の人口を超えることが予想されています。高齢者問題は貧困の問題とも深いつながりがあります。現在、80%以上の高齢者は途上国に住んでおり、日本の全国民よりも多くの高齢者は貧困レベルの生活をしています。

今までは、若者が高齢者の面倒をみてあげないと捉えられてきました。たくさん増えてくる高齢者が問題だと。私たちは「Ibasho」を立上げて、高齢者に対する見方を変えましょうというシンプルな主張をしています。65歳になっても、急に能力がなくなるわけじゃありません。高齢者の知恵や経験がコミュニティのレジリエンス(Resilience)を高めると思います。東北の震災の時の話ですが、高齢者は「こっちに逃げろ、あっちに逃げろ」ということを感覚でわかっていて、水の流れが速いからアスファルトの上は逃げるなとか、食べられるキノコの見分け方とか、電気や火がない時の調理法などを教えてくれたと。基本的なレジリエンス(Resilience)が高齢者の中に蓄積されていて。「Ibasho」の活動を通してこの部分を見直していかないといけないと考えています。

「Ibasho」は地域の高齢者の隣に座って、自分たちが地域のためになれる場所を作ることを一緒に考えていく。最終的には高齢者自体が変わらないと、高齢化問題は変わりません。65歳の人は「75歳の人は・・・」って言う。75歳の人は「85歳の人は・・・」って言う。自分は高齢者じゃないから一緒に参加したくないし、その姿を今は見たくないって言う。そこを変えていかないといけないと思います。それはテレビで宣伝しても変わらない。小さくてもいいので実際にプロジェクトをやってもらって、私たちにもできるんだとわかってもらうのが大事です。「居場所ハウス」にはカマドがあります。カマドがあれば災害の時にご飯を炊けますし、高齢者が若い人にご飯の炊き方を教えることができる。高齢者が資産(Asset)になるんです。

その時、専門家がやってあげるんじゃなくて、地域の方と一緒に作ることが重要です。それと同時に、地域の人の意見だけに頼っていては次には進まない。専門家にはエビデンスに基づいて知識があるので、それを地域に活かすことも大事です。アメリカで在籍していた博士課程の指導教官がいつも言っていたのは、建物は手袋だということです。そして、団体(Organization)は手だと。先に手袋を作ってしまうと、手が動きづらい。まずその団体(Organization)がどういう動き方をするかを考えてから建物を作る必要があるんだと。地域の人と一緒に考えると、専門家だけでやるのに比べると時間がかかりますが、それは確実にペイオフすると思います。ですから、「Ibasho」ではシナリオ・メイキングには時間をかけるようにしています。

「Ibasho」が目指していることを8つの理念にまとめました。

  1. 高齢者が知恵と経験を活かすこと(Elder Wisdom)
  2. あくまでも「ふつう」を実現すること(Normalcy)
  3. 地域の人たちがオーナーになること(Community Ownership)
  4. 地域の文化や伝統の魅力を発見すること(Culturally Appropriate)
  5. 様々な経歴・能力をもつ人たちが力を発揮できること(De-marginalization)
  6. あらゆる世代がつながりながら学び合うこと(Multi-generational)
  7. ずっと続いていくこと(Resilience)
  8. 完全を求めないこと(Embracing Imperfection)

Ibashoの地域への関わり

「Ibasho」の地域への関わりですが、まずアセスメントをして地域にどういうニーズがあるかを調べ、地域での活動を通して高齢者のキャパシティをあげた後、建物を作る。そして、運営しながらモニタリングをして、それを地域に還元することを行います。大船渡でもフィリピンでも聞いた話ですが、「研究者が何回も来て調査をしたけど、あれはどうなったのかしら?」、「もう調査には答えたくない」と。昨年、国連防災世界会議があった時、大船渡とフィリピンの映像を作ったんですが、映像にすると地域の方も見れるんですね。地域に結果を還元しないようなリサーチは、極力NGOではしないようにしたいと考えています。

Design(デザイン)という単語には名詞と動詞がありますが、一般的には名詞の方がデザインだと言われている気がします。居場所作りにおいては動詞の方に力をいれて、専門家がデザインするんじゃなくて、地元の人がオーナーシップを持てるようにする。有名な建築家が設計するのに比べたら美しいデザインじゃないかもしれませんが、自分たちの手が入るからこそオーナーシップの意識が生まれるのだと思います。

今まで「Ibasho」では5ヵ国でプロジェクトを行いました(スリランカ、アイボリーコースト、ブータン、大船渡、フィリピン)。このうち大船渡とフィリピンのプロジェクトを紹介したいと思います。

大船渡「居場所ハウス」

大船渡ではNPO法人を立ち上げていただきました。高齢化した地域でプロジェクトを行う場合、誰かが亡くなったり、病気になったらプロジェクトが終わってしまう恐れがあるので、理事が変わっても地域で続くようにという考えからです。「居場所ハウス」は木曜以外の10時〜16時まで開いています。大事にしているのは、高齢者の人が座ってお茶をいれてもらうんじゃなくて、自分でいれる場所だということです。

運営費は自分たちで稼いでおられます。農園をやって、朝市を始められました。地方で買い物に行く場所がないので、朝市には高齢のおばあさんが買い物に来られています。食堂を作り、保健所から許可をとって運営されており、地域の方や、被災地住宅の工事をしている方がランチに来ていると聞きました。補助金の申請書も自分たちで書かれています。

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「居場所ハウス」の日常の様子

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「居場所ハウス」の農園

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「居場所ハウス」の朝市

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キッチンを増築する「居場所ハウス」メンバー

Ibashoフィリピン

現在、フィリピンのレイテ島で進めているプロジェクトは、台風ヨランダの被災地です。フィリピンには台風ヨランダの4ヶ月後に初めて行って、いくつかの地域を訪問しました。そして、1年かけてプロジェクトを行う地域を選びました。現地でワークショップを行ったところリサイクル、農園、子どもたちの栄養が悪いので栄養のプログラムの3つをやりたいという話が出されました。

世界銀行から知識交換プログラムとして資金を出していただき、3回目の訪問の時に、大船渡の「居場所ハウス」の方に一緒に来ていただきました。元々工務店で勤めていた方と、市役所で勤めていた方の2人です。彼らは戦後の経験を知っていて、例えば、曲がった釘を真っ直ぐにして使ったり、余った物を使う方法を知っている。2人はフィリピンからの帰国後、募金箱を作りました。「現地に行ったら自分たちで何かしようと思った」、「自分たちも国際援助について何かできるとわかった」と言ってくださったのが収穫だと思いました。「フィリピンに比べたら日本は被災地、被災地って甘えてると思う」という話もされていました。

フィリピンの方も大船渡に来て、農園を見たり、手作りのフィリピン料理を振る舞ったりしました。また、国連防災世界会議にも参加されました。自分たちにもできることがあるということで、日本から帰って1週間ぐらいしてリサイクル活動を始めました。「居場所ハウス」の農園を見学し、自分たちも農園をやりたいと考えられました。地域の方から空き地を借り、自分たちで掃除をして、水を通して農園を始めました。農園では高齢の方が子どもたちに野菜の作り方を教えたり、一緒にご飯を作ったりしています。今はまだ「居場所ハウス」のような建物を作るお金がないので、自分たちで農園の一画に小屋を作りそこに集まっています。

2014年10月には澤田先生と一緒にフィリピンを訪問しました。「Ibashoカフェ」を作りたいということで、どうしたいかを話し合いました。「居場所ハウス」も男性の方も一緒に行き、1週間かけて農園の方法を教えてもらいました。現地の方は戦争を経験されておられますが、「日本人に対するイメージが良くなかったけど、こうした関わりを通して日本人に対するイメージが変わった」と口に出して言ってくださるんですね。それは外交という意味でもよかったと思います。農園も立派になりました。本当に小さなレベルですが、日本の知識がフィリピンでいかされています。日本とフィリピンの高齢者が互いの国を訪問することで、お互いに学びがあったと思います。学びがあった部分については、他のところでも使っていくことを考えていきたい。

フィリピンでは、2015年からリサイクルと農園を行っていて、来月、モバイル「Ibashoカフェ」を試験的に2週間やることになっています。今のところ建物を建設するお金はありませんので、ファンドレイジングをしていく必要があります。

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「居場所ハウス」のメンバーも参加したワークショップ

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リサイクルで使っている三輪車

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Ibashoフィリピンの農園

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農園で野菜の作り方を説明する「居場所ハウス」メンバー

Ibashoのこれから

これからの「Ibasho」の活動ですが、これまでに学んだことをネパールにいかしたいと考えています。計画は2つあって、1つは高齢者が小学校のカフェテリアをする。もう1つは、特にカトマンズでは社会起業が多いので、高齢者と学生で一緒に何かできないかと考えています。

先進国にいると、どうしても教えてあげないといけないと思ってしまいますが、実際はこちらが学ぶことも多いのでピア・トゥ・ピア(Peer to Peer)の関係を大事にしていきたい。

今まではボランティアの延長でやってきましたが、これからスケールアップしていくためには、プロジェクトのリサーチを行い、それに基づいて評価をしたり、トレーニングマテリアルを作ることが大事だと考えています。

コミュニティは受動的に与えられるものではなく、他者と交渉して作り上げていくもの(Community is something that we have to negotiate and create with others, not something that we can passively receive.)だと考えています。居場所とは誰が作るのか? 地域の人が自分たちで交渉しながら作っていかないと居場所にはならない。専門家が作り過ぎてはいけない。居場所を作ると言うと、フィジカル(物理的)なものとソーシャル(社会的)なものが分けて考えられることが多いのですが、フィジカル(物理的)なものだけを先に作るとダメだと思います。フィジカル(物理的)なものとソーシャル(社会的)なものは一緒に考える必要があると考えています。何より大事なのは、まず人と人がつながることです。

なぜ地域の高齢者をエンパワーメントしないといけないのかというと、都市化、移民、自然災害などの問題に対応していくためです。世界中で介護者(Care Giver)が足りないという状況があります。さらに開発途上国ではインフラがない、住居が足りない。そうした中で、専門家が一方的にやってあげるのではなく、高齢者が行う具体的な活動を増やしていき、その効果をきちんと見ていく必要があると思います。

最後に「誰が高齢者なのか?」という問いをあげました。国連では65歳以上を高齢者と定義していますが、65歳以上の人々を守る対象として開発を続けていくのか、あるいは高齢者というものに対する考え方を変えていくのか。誰が高齢者なのか? を考え直していく必要があると思います。

澤田康幸「学術研究から見た社会関係資本(Social Capital)とIbashoの意義」

私からは「Ibasho」が学術研究から見てどういうことなのかを解読してみたいと思います。キーワードは社会関係資本(Social Capital)です。

背景としては巨大災害、高齢化、リーマンショック以降の政府の負担増、市場取引の増大があります。政策研究では社会関係資本(Social Capital)が市場と政府を補完するという流れにあります。世銀でも1990年代後半からやたらと社会関係資本(Social Capital)と言い始めましたし、政治学、社会学、社会疫学の分野でも盛り上がっています。しかし、社会関係資本(Social Capital)をどう創出するかというと、それはほとんどわかっていないのが現状だと思います。政府の役割にも限界がある、市場の役割にも限界がある、それでも様々なサービスを持続的に提供しないといけない中で、それを可能にする社会関係資本(Social Capital)をどう創出するかが課題です。

この課題に対して「Ibasho」はロールモデルと言えると思います。フィジカル(物理的)なインフラとソーシャル(社会的)なインフラの補完関係をどう設計するかということです。

現在、地球規模で自然災害、アジア通貨危機などの経済災害、テロや紛争などの暴力的災害があります。自然災害、特に、風水害は最近増えていますが、災害に対して保険メカニズムがどのくらい機能しているかと言うと、大規模な自然災害ではマーケットを通じた保険機能が非常に低くて、アジアでは9%しかカバーしていません。90%は市場機能以外でカバーしないといけない。北米でも3分の2しかカバーしていません。この背景には、低頻度ハイリスクな事象に対しては大数の法則が成り立たず、保険の設計が困難であるという根源的な市場の失敗があります。また、現在、アジアは世界の人口ボーナスの核ですが、2050年くらいには人口増加は頭打ちになり、その後はアフリカで人口が増えていく。2050年ではインド、バングラデシュでも高齢化が進むと考えなければいけません。

このように、人々は様々な災害に直面するわけですが、他方、生活は安定的にやっていかないといけない、生業や生産活動も安定的にやっていかないといけない。そのため、市場を通じた保険を含めて市場メカニズムが有効に機能しないといけませんが、先ほど言った通り、災害に対して市場はなかなか有効に機能しない。これを経済学では「市場の失敗」と呼んでいます。政府による公的メカニズムも重要になりますが、財政も限界があり、また、脆弱なグループに対してどう介入していくかも課題になります。世銀も、特に脆弱なグループに対する市場機能の不完全性を政府が補完するということを議論されていますが、政府も万能ではないわけで「政府も失敗」することがある。市場も失敗する、政府も失敗する。そこで注目されているのが社会関係資本(Social Capital)です。市場、政府、コミュニティ/社会関係資本(Social Capital)の三者の補完性を高めていくことに尽きます。

このことを見るために、経済学でいう「囚人のジレンマ」ゲームを例にとってみます。「囚人のジレンマ」ゲームは公共財の供給、共有地の悲劇、環境問題や匿名の市場取引のメカニズムを捉えた根源的なモデルと考えることができますが、「囚人のジレンマ」ゲームは、自由放任の状況にしておくとパレート最適性は実現しないというものです。だから、より望ましい状況を達成するために第三者が協力関係の履行を強制する必要がある。発展途上国のように、政府がそうした履行を強制する能力を十分に持たない場合、その代わりとなるものとして、社会関係資本(Social Capital)があるということになります。では、この目に見えない社会関係資本(Social Capital)をどう測定するのかという点ですが、現在は、まさに「囚人のジレンマ」のナッシュ均衡からの乖離の程度という形式で測定するということが行われています。

先ほど市場、政府、コミュニティ/社会関係資本(Social Capital)の三者の補完性ということを言いましたが、市場とコミュニティの補完関係を高める仕組みが、例えば途上国のマイクロファイナンスです。市場が失敗するので、貧困層は市場取引の仕組みを通じてはお金を借りることができない。そこで、コミュニティの紐帯をうまく使った仕組みである連帯責任制度を使って貧困層を資金貸借取引に取り込んでいこうとするものです。政府とコミュニティの補完ということでは、世銀も中心になってやってきた、公共サービスデリバリーにおける一連の分権化、例えば、GFDRR(世銀防災グローバル・ファシリティ)がひとつの柱としているコミュニティベースのアプローチや、教育開発分野でのSchool Based Managementなどがあります。

「人々をくっつける」ためのフィジカル(物理的)なインフラストラクチャーと、ソーシャル(社会的)なインフラストラクチャーを構築することが三者の補完性を高めることになると思いますが、具体的な仕組みについての理解はほとんど進んでいません。抽象的には、日本でも「地域包括ケア」のようなアプローチが唱えられ、自助(市場取引を含む)、互助、共助(準市場・公助)、公助の補完性を高めるということがいわれていますが、まだ具体的な姿がよくわからない。こうした補完性を高める具体案として、そのロールモデルになるのが「Ibasho」だと思います。

清田さんも話されていましたが、こうしたプロジェクトをきちんとリサーチして、エビデンス(科学的根拠)として蓄積していくことが大事です。大風呂敷を広げると、「Ibasho」の経験を国際公共財として定式化し、今後の高齢化の中で地域の防災能力を高める介入のアイディアにしていくことが必要だと考えています。

最後に強調したいのは、今日の発表では市場メカニズム、政府が重要でないと主張したわけではありません。市場メカニズム、政府も基本的に重要であるものの万能ではない。そのため、これらと社会関係資本(Social Capital)の補完性を高めるのが不可欠だということをお伝えしたかったわけです。