「居場所ハウス」の十周年記念感謝祭

2023年6月11日(日)、岩手県大船渡市末崎町の「居場所ハウス」で十周年記念感謝祭が開催されました。

  • 日時:2023年6月11日(日)
  • 時間:9:45〜13:00
  • 場所:居場所ハウス
  • プログラム:
    ・9:45 津波伝承「紙芝居」完成披露
    ・10:00 オープニング
    ・10:05 感謝状贈呈
    ・10:15 あいさつ、祝辞
    ・10:30 佐々木深里さん(末崎町中井地域)による民謡
    ・10:50 末崎町老人クラブによるアイヤ
    ・11:05 勇款さん(末崎町西館地域)による新日本舞踊
    ・11:30 祝い餅つき
    ・11:35 祝い餅まき
    ・11:40 どこ竹による竹トンボ飛ばし

スタッフは8時に集合し、準備を始めました。ただし、昼食の「おぢづき」を用意する方は早朝から集合し、調理を始めたということです。
岩手県大船渡市のある気仙地方では結婚式の時、到着した参加者にまず落ち着いてもらうという意味で、本膳の前にうどんや餅を食べる習慣があり、これが「おぢづき」(落ち着き)と言われています。十周年記念感謝祭では、気仙地方の習慣に従い、来賓の方や協力者などへ「おぢづき」が振る舞われました。

9時45分から津波の経験を継承するために制作された紙芝居の完成披露。「居場所ハウス」のスタッフの女性が津波に巻き込まれ、その後、救助されたという経験を紙芝居にしたものです。

10時から感謝状贈呈、NPO法人・居場所創造プロジェクト(居場所ハウスの運営主体)理事長による挨拶、大船渡市長、ワシントンDCの「Ibasho」代表、末崎地区公民館長からの祝辞とプログラムが進みました。「Ibasho」代表からは、東日本大震災後に被災地の知人に連絡をとり、それが「居場所ハウス」として結実した経緯と、「居場所ハウス」をオープンする際に込めた8理念の紹介が行われました。

10時30分からは、末崎町出身の若い世代の方による民謡、新日本舞踊の披露、末崎町老人クラブによる「アイヤ」の踊り。「アイヤ」は末崎町の碁石方面の地区に伝わる踊りで、末崎町老人クラブのメンバーはこの日のために何度も集まって、練習をされたということです。

11時30分から祝い餅つき、11時35分から祝い餅まき、11時40分からどこ竹による竹トンボ飛ばしが行われました。祝い餅まき用のお餅は、末崎町老人クラブの方の手作りです。今では、餅まきをする機会自体が減ったということですが、手作りのお餅をまく機会は非常に少なくなったということです。
どこ竹(どこ竹@武蔵野三鷹・まっさきグループ)は、東日本大震災後、末崎町の支援を続けてこられたデジタル公民館の活動に携わる人々によって立ち上げられたグループ。十周年記念感謝祭では、前日の準備、当日の運営の協力などのため、東京などからデジタル公民館の11人が参加されました。

十周年記念感謝祭は、新日本舞踊の後半から小雨が降り始めるなどあいにくの天候でしたが、多くの方の協力により、無事にプログラムが終了しました。

十周年記念感謝祭にはいくつかのメディアの方が取材に来られていました。取材では、「居場所ハウス」から教わったこととして次のような話をさせていただきました。


「居場所ハウス」と施設の大きな違いとして、施設では職員がサービスを提供し、職員でない人(住民)はサービスを利用する立場であるのに対して、「居場所ハウス」は住民自らが運営しているという違いがあります。運営に関わる人々は、「居場所ハウス」という場所において、地域で求められていることにどう対応するかを考え、朝市、食堂、買い物送迎、新型コロナウイルス感染症の頃の野菜の無人販売所などが始められました。このようにして、運営が始まってから新たな機能が備わってきたプロセス自体が、「居場所ハウス」が育ってきたことの現れだと考えています。
運営の中心を担ってきたのは地元の末崎町の住民ですが、十周年記念感謝祭には海外、東京など他の地域からも来られているように、地域を越えた関係が生まれ、今でも継続していることも、「居場所ハウス」が生み出した大切なことだと思います。

「居場所ハウス」で印象に残っている出来事は、毎日のように来られていた90代の女性が、お世話になるだけだと申し訳ないということで、時々、小麦粉や砂糖を差し入れしてくださったこと。80代の女性が、地域に伝わる高田人形を展示するという話を聞いて、何十年も倉庫にしまっていた高田人形を持って来てくださったこと。高田人形を持って来てくださった時の、(表現は適切でないかもしれませんが)誇らしい顔が印象に残っています。
2人の女性から、そして、「居場所ハウス」で出会った多くの方から教わったのは、年齢に関わらず、誰かの役に立てることは喜びだということです。
もちろん、誰かの役に立つことは強制されるべきことではなく、人を役に立つか否かという有用性によって評価することも避けなければならないという意味で慎重な議論が求められます。例えば、現在進められている地域包括ケアシステムの中に、「自助・互助・共助・公助」として、ボランティア活動や住民組織の活動などの「互助」が位置づけられることで*1)、このように慎重に議論すべき領域が抜け落ちて、仕組みだけが一人歩きする状況にはなって欲しくないと考えています。

もう1つは高齢者という概念について。高齢者にはネガティブな意味があります。それゆえ、高齢者と呼ばれるのを快く思わない人も多い。「居場所ハウス」で高齢者と定義される(65歳以上の)人々が生き生きと活躍することが、高齢者という概念がもつ意味をポジティブなものとして変えることにつながるのではないか。当初、このように考えていましたが、10年が経過した今、少し違うことを考えています。それは、そもそも高齢者という概念自体が必要なのか、この概念は誰が必要としているのかということ。
「居場所ハウス」でお会いした方は、○○さん、○○さんという固有の名前を持った一人ひとり。「居場所ハウス」という場所において、一人ひとりと接するうえでは、高齢者という概念は必要でない。「居場所ハウス」が実現してきたことは、一人ひとりの存在が浮かびあがることで、高齢者という概念が後景にひくという状況を生み出したことだと言えるかもしれません。逆に考えれば、高齢者という概念が使われる場面においては、誰の、どのような考えが潜んでいるのか。このことはこれからも考えたいと思いますが、「居場所ハウス」はその部分にも光をあてるものだと考えています。


■注